禅の心

禅の心

宗教法人 曹洞宗 大乗寺 蔵司 木内 美峰 氏

 ロータリーの歌『手をつないで』、『四つテスト』はまさに仏教の目指すところです。
この言葉から卓話に入られ、正法眼蔵随聞記より『光陰を惜しむ』の資料に基づき話をされました。
永平寺を開かれた道元禅師は中国で修行され、日本曹洞宗の開祖となられました。正法眼蔵随聞記はその道元禅師が修行僧に教え、説かれたものを永平寺二代、懐奘禅師が書き写し纏めたもので、仏教の真髄です。
道元禅師は中国より帰られた時、持ってきたものは何も無い。「眼横鼻直」眼は横、鼻は縦、口は横、ただそれだけを認得した。平常心これ道、仏教に特別なものは無いと言われ、宇治に禅の道場を開かれました。
禅では多くのものを持ってはいけない。捨てて、捨て切ったところに良いものがある。無一文、無尽蔵になることです。今の世は獲る取るトルばかりです。
人は色々な鎧を着ています。社長さんともなれば誰も何も言わない。これは恵まれ守られているとも言えます。ここで捨てる。個人、己とは何か?おのれは何で、どんな生き方をしているのか?どんな生き方をしたいのか?ということになります。これが考える機会になればと思います。
座禅は姿勢を正しくすることです。背骨を立て、顎を引き、お腹の丹田に重心を置きます。吐くことを大切にして、呼吸を整えます。そうすると息遣いの中で自然と一体になります。天地が一体となります。自然の中で生かされている、生きていることを感じます。
次に心です。心を使わない、ひとつのものに拘らないということです。眼に見える事、聞こえる事を右から左に流していくだけです。心を使わなければ無一文、無尽蔵になります。物を追いかけないことが禅の心です。参禅道場すると、このことが体から覚えていきます。
『百尺の竿頭 更に一歩進め』という禅語があります。私も阪神淡路地震に遭い、会社を皆と一緒に再建した経験があります。大変厳しい状況でありましたが、現状を把握し思い切って進むと、多くの支援をいただき、社員ひとりひとりが大きな力を出して立て直すことができました。
社長業は大変厳しいことが多いでしょう。百尺の竿の先に居ながら、現状をしっかり把握し、やるべくことをすべてやり、決断して楽観的に更に一歩踏み出す。この事が大切です。
人はおのれ一人、一人になって死んでいきますが、おのれ自身はどうなのか?考える機会になればと思います。
『百尺の竿頭 更に一歩進め』手を離せば、必ず支援、援護が来ます。