韓国の歴史等についてパート2

韓国の歴史等についてパート2

(有)イーエルエル 代表取締役 丸井 洋氏(金沢西RC会員)

 今回は昨年11月に続いて丸井会員の韓国の歴史第2弾。先般のセウォル号沈没事故は韓国とはどういう国なのか、ということを世界中に宣伝したようなものだと前置きしたうえで、前回のおさらいと補足を加え、韓国の実像に迫りました。
 古朝鮮(~前108年)、高句麗、李氏朝鮮、天津条約、甲午農民戦争、日清戦争、乙未事変、日露戦争の経緯をたどり、日韓基本条約により計6,742億円にも上る供与をしたことや、中華思想、冊封体制(宗主国、朝貢国)などについても歴史的考察がなされました。
 韓国人の能力について独自の分析を披瀝、人口5,000万人余りの韓国は冬季五輪で金3、計8個のメダルを獲得、日本は金1、計8個のメダル。人口の比から言って日本はもっと多くてもいい。100万人当たりの博士号は韓国204人、日本131人。米国理工系大学院博士号は韓国が2万1,000人、日本が3,800人などと韓国の能力の高さを例示しました。
 当クラブで米山奨学生としてお世話した韓国のキム君はコニカミノルタ、イさんは松下電工、いまのパナソニックに就職しました。去年の地区大会ではRI会長代理でこられた韓国の方が勉強して挨拶を全部日本語でやられたのは、すごいことです。
 1932年(昭和7年)4月29日、ユンポンギル(尹奉吉)という青年が上海魯迅公園の天長節で爆弾を投げ、重光葵はじめ金沢の第9師団軍人が死傷しました。重光は後の外務大臣で例のミズーリ号の艦上で降伏の調印をした人ですね。爆弾事件のとき片足を失いました。その後、ユンポンギルは三子牛山で銃殺されました。
 その記念碑が野田山の市有地にあるということで、丸井会員は現地を視察、撮影した写真を示しながら説明されました。大乗寺の標柱と、ユンポンギル義士の遺跡があるという看板が立っています。もう少し上がると石川県戦没者墓地があり、ユンポンギルの慰霊碑が2ヵ所にあります。殉国碑はペイントが塗ってあり、文字が消えかけています。正面には亀の上に像が立っています。韓国の方が来られて清掃しているみたいですね。
 市が貸している地面に、こんなものを認めていいのかと大分問題になったようですが、私はよかったと思っています。日本人から見ればテロリストですが、こういった記念碑があるということは、日本人は心が広いということで、もっと世界にアピールしなければならないのではないかと思います。