私の日本発見の道

私の日本発見の道

キャンベラサンライズRC会員 アラン・マッカロック 氏

 今日は「私の日本発見の道」について話をする機会をいただき嬉しく思っています。私は8年前に初めて金沢に来ました。その時、日本語は全然わかりませんでした。石川ファンディションインターナショナルエクスチェンジ(IC)で日本語を勉強するために来ました。ICはリファーレの中にあります。毎年、キャンベラからオーストラリアの学生を日本に送っています。丸井さんには2008年にホストファミリーでお世話になり、日本語や日本文化についていろいろ教えてくれました。
 8年間勉強したので、今は少し日本語が分ります。5歳の子供程度に読むことが出来ます。
 私はスコットランドのエディンバラで生まれました。両親は第2次世界大戦の時知り合い、戦争中はイギリス政府で働き、結婚しました。私はフランス語を勉強し、うまくしゃべることが出来ます。日本語ももっと勉強し上達したいと思っています。私は21歳までスコットランドに住んでいました。大学では地質学を学び数年間アフリカで働いていました。1973年から1982年まで主にザンビアに住んでいました。1982年にオーストラリアに移住、キャンベラには32年間住んでおり、オーストラリア政府の産業省に勤めていました。主な仕事は貿易政策でした。
 初めて日本に来たのは1995年、阪神大震災のすぐ後で東京に行きました。最近の熊本県地震はとても気の毒に思っています。1995年の東京での会議では、英語のみでの会議でした。3日間位、研究協力の誓約書について話し合いました。計画の名前は、知的生産システムです。その時、日本の文化にとても興味を惹かれました。それで、日本語の勉強を始めましたが、当時は仕事も忙しく、日本人にも会えないため、なかなか上達しませんでした。しかし、2008年に友人からの提案で留学する事が出来き、今回で4回目の訪日となりました。
 私の一番の趣味はスコティッシュカントーダンスで、毎週キャンベラで踊っています。2010年にニュージーランドでダンス大会があり、そこで3人の関西出身の日本人に会いました。それ以後もお互い連絡を取り合っています。2012年、年1回開催される関西のスコティッシュダンスの舞踏会に招かれました。場所は神戸でした。とても楽しい舞踏会でした。
 2014年に私はオーストラリアの政府の仕事を退職しました。今は、たくさんの時間を趣味についやし、大変忙しい毎日です。今年、私はキャンベラサンライズRCの幹事になります。会員で友人のピーターさんは日本語が上手です。彼は私が金沢でもっと勉強するよう励ましてくれました。毎週木曜の朝、彼は私に「おはようございます」といいます。そして、ときどき新しい日本語の単語も教えてくれます。また、毎週キャンベラで日本語の授業に行っています。先生はヤマサキマサコさんで、福岡出身です。彼女には20名ほどの生徒がいます。私はこれからも日本語を学び続けていきたいと思っています。帰国する前、皆さんの前でスピーチする事が出来て幸せです。皆様の暖かい友情に感謝いたします。