石川県の人間国宝の流れ

石川県の人間国宝の流れ

人間国宝 魚住 安彦 氏(金沢北RC会員)

 「重要無形文化財保持者」、これが人間国宝の正式名称である。ただ新聞の活字におこすと長い。そこでそのような人たちは国の宝であるということから、記者たちが「人間国宝」と短く呼ぶようになった。人間国宝は焼物や漆塗、染色、人形といった様々な分野の優れた技術の持ち主が選ばれる。そんな人間国宝が最も多いのが石川県である。中でも工芸の分野で9名もの方が今なお活躍されている。東京都や京都府にも多くの人間国宝の方がいるが、それは工芸だけでなく歌舞伎などの芸能の分野も含めてである。そんな中、石川県はひとつの分野でこれだけの方が活躍されているので、日本一の技術のレベルを誇っていると言える。そんな人間国宝の方々が目標としているのが「用の美」と底辺の拡大である。前者に関しては、使用して美しいと思えるものを追い求めるということであり、後者に関しては、昨今作家の人数が減少しているということから、次世代の人材を掘り起こすために人間国宝の方々自らが美術館で作品の解説を行ったり、学校に出向きものづくりの話をしている。
人間国宝のはじまりは終戦後国民の目をアメリカから逸らしながら、いかに日本を復興させるかという観点の下、松田権六先生とマッカーサー、文部省が三つ巴になり展覧会を開催したことにある。そしてその展覧会の2年後、出展した木村雨山や魚住為楽をはじめとする約40名の方が日本で初めて人間国宝に選ばれている。その中に私の祖父にあたる魚住為楽がいる。一度飲みに出れば1週間は戻らないような祖父と遊びたい盛りであった私は、お互いに苦労をかけながらも技術を継承しました。
最後に私は弟子時代に様々な教えや心構えを学びました。例えば、「座ったら立つな」。これは一度仕事に取り掛かれば、他のことに注意を向けるのではなく目の前の仕事に集中しなさいという教えである。他にも翌日の準備をしてから帰るといったことや、身の回りの整理整頓といった当たり前のことではあるがとても大切なことを学びました。そんな中、一番大切なことを学べたのは粘土や漆を買いに行く「使い走り」でした。今のように電話やインターネットで注文すればすぐに届くというシステムはもちろんないので、お店のご主人との会話や値段交渉が社会勉強につながり、礼儀作法も身につきました。ものづくりは姿勢と礼儀や作法といった人間関係が大切であり、ものに感謝をしないと良いものを作ることはできないという心構えを学んだ時代でした。