東日本大震災への対応

東日本大震災への対応

金沢市消防局 警防課 警防グループ長 森川 茂善氏

 昭和61年に当時の消防本部(現 消防局)に入りまして、28年が経ちました。その内、18年は人命救助を担当するレスキュー隊にいました。オレンジ色の服を着ていることでも知られていると思います。災害現場は、テレビで観るようなものとは全く違います。真っ暗で暑くて、異様な雰囲気です。
 金沢には、417名の隊員がいます。その中でレスキュー隊員は24名、さらにその中の6名は国際救助隊員に選ばれています。市町村単位の組織ですので、以前はそれぞれの地域だけの火事や救急などに対応していましたが、いまでは日本全国どこでも呼ばれる可能性があります。海外でも事案がありますと、呼ばれることがあるのです。
 昨年は金沢市の火災が92件で、4日に1回発生しています。焼死者は2名、損害1億8千万円です。救急出動件数は1万6千件で、1時間に2件の計算になり、市民の28人に1人が利用されたことになります。
 消防本部は、お給料を頂きながら消防の仕事をしています。消防団とは、ボランティアの方々で、普段はサラリーマンなどそれぞれのお仕事をしながら、火事や地震があった時に駆けつけてくれるのです。消防団も有事の時には、自分を犠牲にしてまで、地域の方々の救急をして下さり、本当に頭が下がる思いです。
 緊急消防救助隊は、被災地に迷惑を掛けないように、食べ物、飲み物、燃料、救助資機材などすべて持っていきます。また、廃棄物は、トイレまで含めすべて持って帰ります。衛星電話も持っていったりします。
 新潟県の中越地震の時には、10日間に渡って1都14県から480隊、2,000人以上の隊員が集まり453名の方々を救助しました。場所が小千谷でしたので、ヘリコプターが活躍しました。
 福井豪雨の時には、足羽川が決壊しました。私たちはゴムボートで出動しましたが、ヘリコプターもフル稼働して70~80名を助けました。
 石川県の能登半島地震では、1名の方がお亡くなりになりましたが、全国からの救助隊が迅速に集まり、本当に助かりました。
 東日本大震災では、久慈市に救助に行きました。石川県隊だけで15~16台で行きました。台数も油の量も多いので、給油だけでも1時間かかります。到着しましたら、どこから手を付けていいのか全くわからない状況でした。道はありませんでした。栃木県隊なども含め他県のチームと総力挙げて頑張りました。自分たちはやりつくしたという気持ちです。
 能登半島でも東日本大震災以上の津波が想定されていますので、これを機会に災害への認識を深めて頂きたいと思います。