日本の書の発達と現代の書道のあり方

日本の書の発達と現代の書道のあり方

心聖書道会 岩田 真紀 氏

 私は小学校入学と同時に書道教室へ通い始め、21歳のとき現代美術展に出品し初入選、去年の現代美術展では書の部門で最高賞である委嘱賞をいただきました。
 「しほの山 さしでの磯にすむ千鳥 君が御代をば八千代とぞなく」(古今和歌集)という歌で、意味はあなたの素晴らしい人生が永遠に続きますようにと願ったものです。ちょうど北陸新幹線が開通しましたので、何かおめでたい歌がないかと思って書きました。
 まず日本の書の発達については、文字は古墳時代の少し前、中国から伝わってきました。古墳から見つかった銅鏡には漢字が書いてあり、漢字は日本独自の文化である「ひらがな」を生み出しました。かな文字が芸術的にも最高に栄華を極めた時代が平安時代です。男女の恋文のやりとりも殿方や姫の文字が美しくなければお会いできないと、お互い却下されたでしょうし、現在でも字の美しい方が尊敬されるのは、このような時代背景の名残りではないかと思います。
 書を芸術の域まで押し上げた三筆、三蹟といわれる人たちを紹介します。三筆の1人は空海です。弘法大師とも呼ばれています。風信帖(ふうしんじょう)は空海が最澄に宛てた手紙で国宝です。
 次は嵯峨天皇です。唐時代に活躍した欧陽詢(おうようじゅん)の書を好み、光定戒牒(こうじょうかいちょう)という書は国宝に指定され、延暦寺に保存されています。
 次に橘逸勢(たちばなのはやなり)で、空海、最澄とともに遣唐使として唐に渡り、帰国後に「伊都内親王願文(いとないしんのうがんもん)を残し、皇室の私有品である御物に指定されています。
 三蹟の一人、小野道風は中国的な書風を改め和様書道の基礎を築いた人物とされ、真筆の智証大師諡号勅書(ちしょうだいししごうちょくしょ)が残っており、国宝です。  次に藤原佐理(ふじわらのすけまさ)は草書の第一人者で離洛帖(りらくじょう)は、よりひながなに近くなってきています。最後に藤原行成はかな書の完成者とも言われています。
 私の書道教室では大人と子どもが一緒にお稽古しますので、まず靴をそろえるところから始まり、きちんと正座をし、手をついて頭を下げ、目上の人に話す言葉遣いも指導しています。このように現代の書道のあり方は字が美しくなるだけでなく、目上の方を敬う昔から日本ではとても大切にされてきた行儀というものを見直すうえで最も重要な習い事ではないかと思っております。
 美術館で書をご覧になるときは水墨画のようにお考えいただいて、真っ白の平面に書かれていますので太いところや細いところ、かすれの部分など立体的な美しさの表現をとらえる。漢字などは書きぶりがダイナミックで、かな文字などは流麗で繊細な部分があります。分からないなりにも、かな文字でしたら、とっても美しい紙を使いますので、やあきれいな紙を使っているなあと、金箔も張ってあって高そうな紙やとか、そういったものだけでも何かを感じていただければ書作品を鑑賞する価値があるのではないかと思います。