学生時代 人生いろいろ

学生時代 人生いろいろ

大三建設(株)代表取締役 野村 陽逸 氏 (金沢西RC会員)

 私は中学で3年間、高校で3年間、大学は事情があって2年間の通算8年間相撲をとっておりました。中学ではブラスバンドに入りましたが、身体が大きかったので相撲部に呼ばれて入部しました。中学校のときはそれほどでもありませんでしたが、高校3年のときは、金沢市内で一番強かったです。
 県大会では一つ先輩にずば抜けて強い先輩がいました。それが横綱の輪島関でした。3年の時の卯辰山大会で個人戦ベスト16に入り、それがきっかけで4校の大学から誘いをいただいて、ひとつ上の先輩がいるからという安易な気持ちで拓殖大学に入学しました。
 入学前の2月から呼ばれて、大分県の津久見市にある先輩のセメント会社で合宿することになり、高校の卒業式も大学の入学式も参加できず、力仕事をしてから相撲の稽古という日々を過ごしました。夕食は16人の部員で50kgの肉をもらい、たくさんのごはんや野菜とともにすべて食べ尽くしましたが、合宿の後半は疲れきって5kgの肉も食べられなくなりました。「人間、馬鹿になれ」「胃を大きくして太れ」という先輩の指導にはとても驚きました。
 茗荷谷の駅を降りて左に行けば拓殖大学があり、そこの合宿所に入りました。朝は7時に起床すると、炊事を担当する2人のおばちゃんからアルミのバケツに麦飯4杯出されました。朝ごはんはこれでも軽めであり、昼ごはんも軽めの食事なのですが、夜は稽古の後の晩ごはんが「地獄の食事」になります。先輩から順番に食べていきますが、1年生が最後に食べるときはちゃんこ鍋とご飯を食べ残してはいけません。どんなに満腹であっても先輩がちゃんこ鍋の汁にご飯を入れて、「おじや」にしてすべてをきれいに食べさせられたものです。正座をして食べていましたが、下を向くことができず、上を向いたまま後片付けをしたこともありました。先輩に呼ばれて、返事が遅れた時や声が小さいと厳しい仕打ちもあり、とても緊張したものです。
 1年生の新人戦大会が明治神宮であり、必要な道具を2年生が持ってきてくれて、とても有難く感じていました。私は5人抜きもできて、成績は良かったのですが、帰りは結果に関係なく、1年生だけで合宿所まで歩いて道具を持ち帰りました。3年生と4年生はさっさとタクシーで帰っていきます。遅く帰ると厳しく怒られました。本当に大変でした。
 毎日の稽古は1時から5時までで、基本の練習をした後に最後はすり足でくたくたになったものです。ひざも毎日擦りむいてしまい、消毒して治療しても、毎日の稽古で同じところを擦りむくので治りません。夏休み中にじっくり治療するしかありませんでした。
 そんな生活を2年間続けてきましたが、最後は体育局に行き、きっちりと御礼を言って退部させてもらいました。厳しい練習の日々を経験してきたことで、今の私があり、少々のことでは動じない精神力が鍛えられたのだと思います。