声に出して読む論語

声に出して読む論語

とやま論語を楽しむ会、富山廣徳塾代表 青木 順子 氏

 論語は、孔子(紀元前552~479年)が言ったことを弟子や孫弟子が書いたもので、現在約500編の短文が伝わっている。孔子の「子」は先生の意味。活躍した時代は、日本でいえば弥生時代の200年ほど前である。
父は農村武士で、女の子ばかり9人も生まれ、第2夫人から生まれた男の子は足が不自由だった。65歳で知り合いの娘3人に「自分の子供を産んでほしい」と頼んだところ、一番下の19歳の顔徴在が「仕方がない」と応じて生まれたのが孔子だとされる。父は2年後に亡くなり、母も17歳で亡くした。19歳で結婚したが、食べるために何でもしたという。
孔子は198㎝の長身で、ギョロ目で出っ歯だったそうだ。儒教の聖人という抹香臭い感じとはかけ離れた容貌だったようだ。
当時は群雄割拠の春秋時代。孔子は魯の国を開いた周公旦が好きで、周王朝に戻りたいというのが希望だった。自分で政治をやろうと思った。スタートは政治家だったのである。
孔子は「礼」を教えた。周王朝に確立された考え方で、お金や作物など大切な物を捧げるなど、神様への気持ちを表すことを形にしたもの。「仁」は人が2人の字。家族だろうが他人だろうが、人が2人になったときに当たり前にしなければならない礼だ。
孔子は最終的には「恕(じょ)」といわれる。母が子に示すような自然な愛情、無条件の愛情と理解してもらえればいい。

声に出して読む論語 論語は、文字を追わず、先生の後に続けて掛け合いで読んでほしい。(1句ずつ先生の後について声に出して朗読する)
「有子曰(い)わく、其の人と為(な)りや、孝弟にして上(かみ)を犯すを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すを好まずして乱を作(な)すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本(もと)を務む、本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か」
(孔子の門人・有先生が言われた。その人柄が、家に在っては、親に孝行を尽くし、兄や姉に従順であるような者で、長上にさからう者は少ない。長上に好んでさからわない者で、世の中を乱すことを好むような者はない。何事でも先ず本を務めることが大事である。本が立てば、進むべき道は自ら開けるものだ。従って孝弟は仁徳を成し遂げる本であろうか=「現代訳 仮名論語」より)
孔子は、利益を求める春秋時代に、仁を大切にすることを求めた。その思想は受け入れられなかった。しかし、日本に伝わり国学となった。日本の根本の精神は仁、恕、恥。これを今、子供らに教えようとしている。