人生の旬 ~岩城さんから学んだこと~

人生の旬 ~岩城さんから学んだこと~

北陸朝日放送(株) 東京支社長 北村 真美 氏

 金沢駅のすぐ前にある石川県立音楽堂。今日お話したいのは、オーケストラ・アンサンブル金沢の生みの親でもある、故岩城宏之さんから学んだ「人生の旬」についてです。私がその言葉に初めて接したのは、2004年の2月、取材で県立音楽堂にインタビューに伺った時のことでした。「実はねえ、今年大晦日にやろうと思うんだ。今が旬だと思うんだよ」岩城さんは、目を輝かせながら、世界で誰もなしえていない10時間のコンサートのことを話してくれました。ベートーベンの9曲の交響曲を、一晩で一人で全部指揮する。それが岩城さんの計画でした。岩城さんは、オーケストラ・アンサンブル金沢を設立した1988年の1年前、後縦靭帯骨化症という難病にかかりました。この難病を克服した岩城さんは、手の感覚がほとんどないという後遺症を抱えてアンサンブル金沢の立ち上げに臨みました。その後、下咽頭がんで咽頭と声帯の一部を失い、人生で受けた手術は30回を数えるほどだったといいます。邦楽王国と言われた石川・金沢に日本で初めてのプロの室内楽の楽団を立ち上げ、その後も精力的に定期公演を実施し、海外公演にもチャレンジする岩城さんの姿は、この土地に洋楽の魅力を確実に植え付けていきました。その岩城さんの集大成が、ベートーベンの9曲を一晩で振る10時間コンサートだったのです。北陸朝日放送は、この10時間コンサートのために、大阪ABCと協力して10時間生中継を試みました。東京文化会館で午後1時30分に始まったコンサートは、最後の9曲め、喜びの歌の途中で新年を迎えました。新年1時30分にすべての演奏が終了。10分にも及ぶスタンディングオベーションが続きました。「人生で受けた拍手の中で最も長かった」といいます。N響を中心とした有志のメンバーから、「2005年もう一度10時間コンサートをやりたい」という声が上がり、また大晦日の挑戦への準備が始まりました。待っていたのはもっと過酷な運命でした。肺がんの宣告です。2005年の初夏に肺がんで手術をうけ、年末のコンサートのため入院を1か月で切り上げ、現場に復帰。2005年の大晦日、ステージに立ち、2回目の快挙を成し遂げます。2006年春のアンサンブル金沢の定期公演では、車椅子で指揮。そして、再入院。6月13日、ベッドの上で、目を見開き、両腕をあたかも指揮のように振って、最後の曲を振り終え、深い息をつき、なくなりました。岩城さんが教えてくれたことは「人生の旬は自分で作る」ということだったと思っています。高齢化のすすむ日本にあって、自分の人生の最後をどう締めくくるかを考え実行することは貴重な教えであったと思っています。