コト・箏・琴のちがい

コト・箏・琴のちがい

邦楽家、生田流箏曲家 釣谷 真弓(雅楽仁)氏

 海外でのパーティーなどで、外国人から日本の文化について尋ねられることが多い。外国人は自身の国の伝統文化についてよく知っているが、日本人は歌舞伎や能などについて聞かれても答えられない人が多いようだ。日本の文化や伝統芸能に理解を深めることは大変重要であり、2002年度から和楽器を演奏することが中学校の音楽の授業に取り入れられている。
「邦楽」とは、狭義では江戸時代に発生した近世邦楽のことを指している。主として「こと」、三味線、尺八などの音楽であり、その担い手は町人であった。広義には、古代に伝わった雅楽や中世の能楽などを含み、それらの担い手はそれぞれその時代に力を持っていた階層で、前者は貴族であり、後者は武士であった。
日本の古代では、弦楽器をコト、管楽器をフエ、打楽器をツヅミと呼んでいた。楽器の種類を指すときは「琴(キン)のコト」「箏(ソウ)のコト」「琵琶のコト」のようになる。
琴は7弦の楽器で「こと柱(じ)」がなく、現在演奏されている仲間に一弦琴や二弦琴がある。箏は13本の弦をこと柱に張り、こと柱を左右に動かして音程を調整する。訓読みは琴も箏も「こと」。現在、一般に使われている楽器は「箏」だが、常用漢字にないため「琴」の字が使われ、混同されているのが実情だ。
琴は、埴輪「弾琴男子像」に早くもみられる。小型で膝の上に置いて演奏していたようだ。

コト・箏・琴のちがい 箏は、雅楽の弦楽器の一つとして中国から伝わった。江戸時代の初めには「六段」の作者として知られる八橋検校によって近世箏曲が大成された。「検校」とは盲人の中での最高位で、5~10万石クラスの大名と同程度の経済力を持っていたといわれている。その後、生田流、山田流といった流派が起きるなど隆盛を誇ったが、明治時代になると洋楽に押されて下火になった。大正・昭和初期になると宮城道雄らが出て、洋楽の要素を取り入れて「春の海」などの新しい曲が作られ、息を吹き返した。
現在では、クラシックのオーケストラやジャズなど様々なジャンルの音楽と共演している。金沢でもラフォルジェルネをはじめ、いろんな機会で演奏を聴けるので、邦楽に対する理解を深めていただき、日本の文化、芸能を世界に紹介していただければ幸いである。
※続いて「中国地方の子守歌」を基にした「子守歌変奏曲」と、現代曲の「ジプシーの唄」の2曲を演奏していただきました。