ちょっといい話

ちょっといい話

日光リネンサプライ(株)代表取締役会長 松本 隆夫氏

 2、3年前から、やたら夫婦で旅行に出かけるようになりました。きっかけになったのが新聞のコラム「ちょっといい話」。書いたのは難波利三という小説家で、これを読んで一念発起しました。
(概略)山陰地方の旅館で遅くに地下の温泉に一人で入りに行くと、鍵が掛かっている。少し乱暴に戸を叩くと、つるつる頭の大男が「すみません。妻も一緒ですが、どうぞ」と言った。私が湯船に浸かるのと交替に、二人は浴場から出た。(男湯なのに混浴を楽しむなんて、図々しい奴だ。不倫か何か、秘密の関係じゃないか)と、安っぽい想像を働かせた。
数分後、大男が舞い戻り「実は妻は目が見えないのですよ」。糖尿病が悪化して失明したという。自分は田舎寺の住職だが、妻は若い頃から山陰地方の温泉巡りをするのが夢だった。だが、貧乏寺なので、今回ようやく念願がかなった。ここは初めてなので事故が心配で、悪いとは承知しつつ、男湯に鍵を掛けて一緒に入れていたのだと。「もっと早く、目が見えるうちに連れてきてやれば良かったのにと、それだけが悔やまれてなりません」。大男はそう呟き、両手にすくった湯で顔を洗った。涙も一緒に洗ったのに違いなかった(後略)
自分はこの大男と同じ立場になったとき、同じことができる自信がない、それなら間に合ううちに今まで行きたかった所に行かなければと、急激に思い、3年ほどの間にカナダ・ケベック州の全山紅葉という素晴らしい所、ノルウェーのフィヨルドなどを訪れました。台湾の八田與一技師の墓前祭はゴールデンウイークにあり、仕事が忙しい時期で我慢していましたが、思い切って行きました。
家内は富士山を見たことがないので、2年ほど前に箱根の「富士山が見えるホテル」に泊まりました。もう一晩泊まったのが「富士屋ホテル」という老舗。明治時代の木造建築で、100年以上たつのは国内に4軒しかないとのことで、奈良ホテル、軽井沢の万平ホテル、日光金谷ホテルも泊まりました。最も古いのは金谷ホテルで、素晴らしい雰囲気でした。
私たちは結婚と同時に独立しました。旅館やホテルの営業用のクリーニングをし、相手に合わせて年中無休でやってきました。遅ればせながら、悔いを残さないようにと、旅行を実行するようになりました。この年になると愛や恋ではなく、長い間一緒におってくれたことへの感謝の気持ちです。
一つだけ、その気持ちを表したことがあります。車のナンバーを結婚記念日の数字にしたのです。家内に言ったら「ふーん」。でも、木で鼻をくくったような言い方ではなかったので、多少は感謝の気持ちがこもっていると解釈しております。