
能美市歴史民俗資料館 学芸員 菅原 雄一 氏
能美市は九谷焼としてはわりと知られていますが古墳の里としても色々な事業を展開しています。まず古墳の概要ですが古墳時代は西暦250年から600年くらいの約350年間を古墳時代と言います。古墳には前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳の大きく4種類の形に分けられます。その中でも前方後円墳が非常に位の高い人のみが作ることが出来る古墳の形になります。
一番大きなもので486mあります仁徳天皇の大仙陵古墳から20mのものまで、その大きさでも権力の大きさが分かるような政治的な役割・記念物でもあります。後円墳の真ん中の所に王様が眠っているわけです。
古墳は全国で15万基が見つかっています。岩手の南部から鹿児島の南部までが古墳の分布範囲でして、1600年前はこの範囲がおおむね、倭の国としてまとまっていたと考えられています。古墳の数としては石川県は全国で15番目に多い場所で、その中でも前方後円墳と前方後方墳という権力を持つ人しか作ることが出来なかった古墳の数としては両方合わせても5000基ほどで、全体の僅かに3パーセントしかありませんが前方後円墳というだけで相当の権力のある人が眠っていると思えます。
では、石川県の古墳はどこにどれだけ有るのか、今、2364基の古墳が見つかっています。県内で一番多いのは中能登地と七尾市のエリアに多く密集しています。加賀の方でも古墳はあり、その中でも能美市というのは加賀で一番多く密集しているエリアです。
それでは能美古墳群は南北1km、東西2kmの範囲にまとまる5つの独立丘陵に分布して、寺井山・和田山・末寺山・秋常山・西山という5つの山の上に62基の古墳が見つかっています。秋常山1号墳は石川県で一番おおきな前方後円墳で4世紀の後半の1600年ほど前に作られた古墳です。長さが140mで富山、福井を含めた北陸3県でも一番大きな前方後円墳になります。発見されたのが昭和59年で比較的に遅く発見された古墳になります。その理由としては古墳が大きすぎて一つの山のような状態で研究者が古墳だと気が付かなかったという事があります。今、秋常山1号墳は史跡公園として綺麗に整備されています。
古墳の周りには葺石という川原石が並べられていて、これは古墳が土で作られているため斜面が崩れないように土留めの意味のために作られています。この石は手取川から40万個の石を運んで斜面に並べているという事が分かりました。これは一人の王のために皆でお墓作りをしていた時代になります。
古墳を守るために能美市が取り組んでいる事業ですが古墳というのは非常に歴史な資料としても重要な訳で、守っていくという事は非常に難しいわけです。昭和40年代に高度経済成長の中でどんどん古墳が消滅していく時代がありました。その中で古墳を残そうと調査をしたり地元の方々と保存運動をしたりしてきました。そして、ようやく国指定の史跡として平成25年に一体的に国の保護が図られるようになりました。やはり古墳を守っていくためには調査と公園のように整備をしていく保存の措置と共に活用をしていく事業も重要になっていきます。